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塩湯彦神社
【しおゆひこじんじゃ】


平鹿(ひらか)郡山内(さんない)村大松川御嶽山鎮座。祭神は速玉(はやたまの)命・大山祇(おおやまつみの)命。式内社出羽国9座のうち,平鹿郡2社の1社。古代の祭神は塩湯彦命という地主の塩泉の神であったと認められるが,平安期の神仏習合時には観音信仰と結びつく。またそれとともに熊野神社の信仰がもたらされた。「雪の出羽路」などには満徳・満地長者が御嶽山塩湯彦命の子孫として横手盆地の開発領主となった説話が伝えられる。満徳長者保昌房は,長久年間熊野に参籠し,都に出て西国三十三番を巡礼して帰り,定朝作の観音像を持ち帰り秋田六郡の山々に安置し,御嶽山の白滝観音を第1番としたという。また伴信友「神名帳写証」では「弘安年中一遍上人再興ス,紀伊熊野早玉神ヲ徙シ祭ル」としている。いずれにしろ修験道系統で熊野と観音の信仰がこの山に定着したものである。「秋田風土記」では,国社3社のうちで神領30石,神主は八沢木(やさわぎ)波宇志別神社の大友対馬と守屋肇で,山は役行者が開基だと記しており,「六郡祭事記」では5月17日の御嶽山祭について,横手の東の高山塩湯彦神社は,山が高いが道が険しくなく,また女人禁制でもないので参詣人が群をなすと記している。白滝は社殿より南へ5丁下ったところで,33の岩窟を設けて観音像を安置していたという。伴信友に対し大友直枝が,昔はこの山麓に温泉が多かったが今は絶えたといっているから,その中に塩泉があったものであろう。中世以後式内社塩湯彦神社のあとが不明になっていたのを,近世になって藩主佐竹義格が社寺奉行に調査させ,正徳4年に八沢木の神主大友福命を社家として再興したものであると伝える。明治6年に郷社となり,例祭は7月20日である。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7021206