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真山神社
【しんざんじんじゃ】


男鹿(おが)市北浦鎮座。祭神は天津彦火瓊々杵(あまつひこほのににぎの)尊・伊邪那岐(いざなぎの)尊。もともとは本山(ほんざん)を中に北に真山,南に毛無(けなし)山と並ぶ男鹿三山のうち真山(580m)の山の神である。それと山岳仏教や修験道が重なり,薬師如来をまつり薬師岳と呼ばれたり,熊野修験に関係して大峰と称されたりもした。山上には赤神神社もまつられ道教とも関係がある。海上に突出して航行の目印になり,北磯に北浦,南磯に戸賀という風待ちの良港を持つこの半島の山岳が,各方面からの信仰文化を受容し,行者の道場となり信者の霊場となったのは自然である。別当寺は光飯(こうぼう)寺遍照院(菅江真澄は徧照院と書く)で,もと天台宗から真言宗に変わり,現在は礎石と天然記念物のカヤの古木を残して廃寺になっている。社伝では,景行天皇の時代に武内宿禰が北陸道視察中,この山で飛車に乗り,白鳥に駕し赤旗で車を飾り,五色の蝙蝠(こうもり)に囲まれ五鬼を従えて頂上に座していた武帝を見て報告,天皇が皇女を武帝の妃とした(赤神山大権現縁起)という。その故か,社家は武内氏である。本山の五社堂と並び奥宮五社堂があるが1宇である。頂上の本殿に至ると南に降り本山への大峰道になる。この道順をたどると修験道の逆峰の参路となる。正月3日の夜に「柴灯(せど)祭」があり,柴灯護摩の聖火で焼いた大きな餅を神に供えたのち村中安全・五穀豊穣を祈願して氏子たちや参詣者に護符として分かたれてきた(男鹿の春風)。現在は大晦日民俗神事の「なまはげ」と結合し,2月13~15日なまはげ柴灯まつりの観光行事となっている。この行事は昭和38年に設定され,毎夕5時綱引大会があり,6時にたいまつをかざし鬼の面をかぶったなまはげが山から下りてきて,拝殿境内で豪放な太鼓の音律の中を乱舞する雪中の祭である。真山神社は,中世安東秋田氏に,近世佐竹氏に厚く崇敬され,城北を守る霊場とされた。近代は明治14年県社。例祭は7月15・16日である。山腹の秋田杉の林は藩の留山で,山容の森厳を保つとともに,天然杉資源の保護にも役立ち,現在天然記念物となっているアオサギ繁殖地は,この杉林の中にあるコロニーである。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7021453