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田沢疏水
【たざわそすい】


仙北(せんぼく)郡東部地域7町村にわたる用水路。玉川の左岸用水路と右岸用水路の2幹線用水路からなる。左岸用水路は神代調整池の下流4kmの地点,角館町白岩広久内(しらいわひろくない)の抱返り渓谷顧滝(みかえりのたき)付近で取水し,中仙(なかせん)町・太田町・千畑(せんはた)町・六郷町を経て仙南村出川(旭川支流)に至る延長31.2kmに及び,途中25か所の分水口を持つ。一方,右岸用水路は神代調整池水門から直接取水し,出口集落から真崎野に達する3.4kmの用水路である。総工事費は約44億円の巨費を要し,幹線用排水路・道路は全額国庫負担で行われ(総工事費の72%),その他の付帯工事は県からの補助金により,また開墾工事は国からの融資によって進められた。受益面積は2,936ha。かつては奥羽山脈断層崖下に広がる複合扇状地帯で,礫層・腐植質土壌のため保水力に乏しく地下水位も深く開発が遅れ,山林原野が61%,畑地が32%を占めていた。当疏水の完成により,2,362haの水田が開田され(総面積の80%),入植戸数368戸,地元増反農家5,154戸を数えた。田沢疏水計画の起源は文政8年に着工した御堰開削に始まる(太田町百年誌)。白岩から六郷に至る33kmの水路はいちおう完成の後,荒廃し,幾度か御堰復旧が企てられたが失敗した。昭和12年東北振興電力株式会社の設立により,玉川の水を田沢湖に導入し,電力事業と農業用水の協調開発の開墾事業に着手した。第2次大戦後,事業は農林省直轄となり,着工以来26年を経た昭和38年田沢疏水全事業が完成した。完成後10数年たった現在,当疏水は水路の老朽化と,玉川毒水による土壌の悪化との2つの大きな問題を抱えている。前者については昭和54年度から約79億円をかけて修復の計画が立てられ,後者についても玉川ダム建設を機に恒久的毒水処理工事が実施される運びとなった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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