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西根小屋町
【にしねごやまち】


旧国名:出羽

(近世~近代)江戸期~昭和41年の町名。久保田西根小屋町・秋田西根小屋町ともいった。江戸期は出羽国秋田郡のうち。秋田藩領。久保田城下町の1つ。元和6年4月の屋敷割により成立(秋田名蹟考)。下根小屋町とも呼ばれ,東根小屋町と背中合わせに並行する町で,北の広小路から南の土手までの通りを上・中・下(末)の3丁に分けていた(久保田大絵図)。一帯は上級家士の住む侍町で,広小路に面して西側に梅津藤太夫の屋敷,東側に小場勘解由の屋敷,同家の南隣は寛政7年御学館(明徳館)ができるまで藩の馬場であった。上級家士の屋敷は上丁6戸,中丁13戸,さらに下丁にも土手際の矢野家ほかの屋敷があった(久保田大絵図)。ちなみに明治18年の戸数は上丁27,中丁・下丁各23,計73である。明治4年からは秋田町の町名。同11年南秋田郡に所属。同22年秋田市の町名となる。明治以後の当町内の変遷としては,上丁には,同12年に公立書籍館が設置され,翌年1月に開館,大正8年,東根小屋町へ移転し秋田県立図書館となった。旧梅津邸跡に明治17年秋田市始審裁判所が創設され,同27年秋田地方裁判所と改称,のちに山王2丁目へ移転した。また同19年には郡役所が置かれていた。中丁には,明治13年5月に東根小屋町の秋田師範学校より女子師範科が独立して当町に秋田女子師範学校を開校,同42年4月に師範学校の跡地へ移転。同35年第2高等小学校が開校,同39年女子高等小学校と改称,同41年中通小学校となり,大正2年に中通尋常高等小学校分校となった。明治26年には巡査派出所設置。同44年酒・味噌・醤油を販売する高橋合名会社と獣肉販売・牛乳販売を業とするいろは合名会社が創立(商事会社一覧/旧秋田県史)。明治中期から昭和10年頃まで内町(うちまち)唯一の市場があり,毎朝近郊の農家の主婦が野菜等を運んだ。下丁には明治24年秋田大林区署が移転,大正13年秋田営林署となり,その後営林局に昇格。大正2年に中通尋常高等小学校が開校,敷地は東根小屋町にまたがる。昭和6年秋田市診療所が新築移転。昭和41年住居表示実施により上丁は中通1丁目の一部,中丁は中通3丁目の一部,下丁(末丁)は中通6丁目の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7022379