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日積寺
【にっしゃくじ】


男鹿(おが)市本山南麓にある寺。赤神山永禅院と号す。もと天台宗であったが明徳2年に真言に改宗したという(絹篩)。江戸期は紀州高野山金剛峰寺末。創立の時点は不明であるが日本武尊および漢の武帝伝説を持つ。おそらく日本海側を北上した天台教線によって,平安中期の頃定着したものと思われる。伝教大師・慈覚大師にまつわる伝承もある。安倍貞任・清原武衡・藤原清衡・同基衡等がそれぞれ土地を寄進したとあるが(絹篩)真偽のほどは不明。南北朝期以降,男鹿半島を支配した安東氏によって保護され,元徳3年には安東高季が多宝塔・五社堂を修造する(男鹿の秋風)。戦国期に入ってからも安東盛季・堯季・女川基季(景季ともあり)等が保護を加え,文禄3年に実季は半島内700石余を寄進(絹篩・男鹿の秋風)。天台宗当時は48か坊と,泉光院・印象院・照光院・円月院・仙寿院・自寂院・長楽寺・吉祥院・永禅院の9か寺があったという(男鹿の嶋風)。佐竹氏入部後は衰退の一途をたどり,社領は170石余。永禅院・吉祥院・長楽寺および五社堂を残すだけで他は寺号のみとなる(絹篩)。現五社堂内の木造十一面観音立像・聖観音像は平安後期のもので,現地作のもの。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7022398