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野田高屋村
【のだこうやむら】


旧国名:出羽

(近世)江戸期~明治6年の村名。出羽国河辺(かわべ)郡(寛文4年まで豊島郡)のうち。枝村に石田・平尾鳥(ひらおとり)・左手子(さてこ)・種沢(たねさわ)・芝野・椿川(つばきかわ)・松本新田・妙法(みようほう)・平沢・草川・末戸(すえど)(雄和町)・豊成(とよなり)・畑谷(はたや)の13か村を擁する。岩見川の下流南・北岸自然堤防上に位置する。地名の由来は湿地帯と中世の開拓村にちなむ。「正保国絵図」では本田当高1,280石余とある。「享保黒印高帳」では村高577石余・当高436石余(うち本田278・本田並117・新田41)。享保15年の戸数113軒(枝村白熊沢14)。「寛政村附帳」では当高413石余(うち蔵分276・給分137)。「天保郷帳」では1,337石余とある。農業用水は岩見川の下流戸島川に頼る。肝煎は元和期伊左衛門,享和期は宇馬之丞ほか半助・惣右衛門・喜八・与兵衛・正光が当たる。村鎮守は字七曲台(ななまがりだい)に神明社があり,ほかに加茂社がある。曹洞宗永平寺派竜沢山万蔵寺が上高野(うわたかの)にあり,永禄元年畠山玄蕃頭が常陸国より来た時に同行して創建したといわれる菩提寺。羽川(はねかわ)(秋田市)珠林寺の末寺として慶長12年に再建。字本町(もとまち)に秋田藩主が参勤交代の折の本陣跡がある。また駅馬で和田村と互いに勤め,毎月上15日は字本町村で,下15日は和田村で勤めたとある。「駄賃増銭札之草案」(天和2年10月)に豊島元町より境へ3里25町22間・元町本駄駅賃118文・同無荷77文・増本駄賃142文・同無荷92文,久保田へ3里7町11間・元本駄賃97文・同無荷62文・増本駄賃115文・同無荷74文とある。岩見川の下流に二の渡(中の渡)がある。「久保田昔物語」に「御国替已前は戸嶋より湊への街道は,戸嶋より田唐川,松崎より赤沼へ,手形の方より湊へ出候由。久保田御城御築之後戸嶋より御所野(ごしよの),横山,牛嶋,八橋(やばせ),寺内,湊へ,今の街道を新に御付被成候よし也」とある。明治6年戸数131軒。同年戸島村と改称。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7022460