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波宇志別神社
【はうしわけじんじゃ】


旧国名:出羽

(古代)出羽国平鹿(ひらか)郡の式内社(延喜式)。大森町八沢木(やさわぎ)に里宮が,出羽山地の保呂羽(ほろは)山(430m)に奥宮が鎮座。縁起は神仏習合の形で伝えられており,天平宝字元年に社家大友氏の祖吉親(よしちか)が大和金峯山から蔵王権現を勧請したというが,後世修験道の付会であって,本来この地の佳山を神奈備(かんなび)とした地主の神をまつる神社である。修験の仏教側からは「保呂羽山天国寺」と称した。祭神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)・安閑天皇であるが,安閑天皇は蔵王権現の垂迹神で,天日鷲命が主神となる。この神は忌部氏の祖神で木綿を司るため,直接この地には結びつかないが,神祇官の忌部との関係などで位置づけられたものと認められる。本来は保呂羽山の猛禽に対する土着信仰が,文字によって中央神話の神名と結合固定したものであろう。菅江真澄は保呂羽は脇羽(ほろは)・縨羽であり,波宇志は羽伏か羽節であろうと考えた(雪の出羽路)。神の使者を山鳥としているのも祭神と無関係ではない。大友・守屋両氏が社家で,女人禁制などのためにある下居宮(おりいのみや)の別当は遠藤氏であった。中世小野寺氏の崇敬を受け,大友氏らは土豪としても力があり,社領500石と伝える(大友家古記録)。小野寺・最上合戦には,大森城の小野寺と同心奮戦し,八沢木の神主家は兵火を受けた。近世佐竹氏の崇敬も篤く,社領280石であったという(出羽国風土略記)。参拝は表口が平鹿郡八沢木,裏口が由利(ゆり)郡亀田領羽広(はびろ),脇口が由利郡矢島領法内で,3方の住民から広く信仰された。進藤重記などは,波宇志別は牓示別で,山頂に各領境界の標榜があったと考えた(出羽国風土略記)ほどである。近世の奥宮は5間四方こけら葺であった。大友家からは本居宣長晩年の弟子大友親久(ちかひさ),大平・春庭の弟子同吉言(よしとき)などの国学者が伊勢松坂に学んだ。親久は宣長逝去の前後の記録「大平翁御手記之写」を残し,吉言(通称直枝)は佐竹藩校和学方の創設者となった。藩政期に藩の神道大頭役などを勤めたが,現在も社家大友氏は八沢木の木ノ根坂に波宇志別神社奉祀を続け,無形文化財の霜月神楽(しもつきかぐら)を継承している。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7022467