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八幡秋田神社
【はちまんあきたじんじゃ】


秋田市千秋(せんしゆう)公園内鎮座。祭神は誉田別(ほんだわけの)命・誉田比売(ほんだひめの)命・佐竹義宣・佐竹義和・佐竹義堯。佐竹氏の常陸時代,源氏の氏神山城国男山石清水八幡宮を佐竹昌義が勧請したのに起こり,永享3年佐竹義人が鎌倉鶴ケ岡八幡宮を太田城内に勧請し,この際絵像を巫女鶴子が奉斎して若宮八幡とした。慶長7年の国替えに佐竹義宣が両八幡を奉持し,前者大八幡を久保田寺町一乗院境内に,後者小八幡(正八幡)を城中三ノ丸山手にまつった。小八幡の西隣には五稲荷の中心「御とうか様」の稲荷社がまつられた。「とうか」は稲荷の音読みである。明和4年の大火で類焼の大八幡と別当寺一乗院が小八幡の東に移り,城内の鎮守3社大八幡・小八幡・稲荷社が並んだ。参拝にはまず小八幡,次に稲荷,終わりに大八幡と参るならわしであった。明治維新後城地が陸軍省所管となったため,城外の東根小屋町広小路角に小八幡社殿を移し,明治11年大八幡も合祀した。この社には三ノ丸山手にあったとうか稲荷も合祀されており,もと宝鏡院境内にあった鹿島社も合祀されていた。同年11月東根小屋町の同地内には旧大八幡社殿を移して藩祖佐竹義宣,中興の祖佐竹義和,最後の藩主佐竹義堯を祭神とした秋田神社が創祀された。秋田神社は明治12年横手城跡にも勧請された。同32年旧本丸跡の現在地に,佐竹家より社地を与えられて移転した八幡神社は,同40年12月24日に秋田神社をも合祀し県社八幡秋田神社となった。八幡秋田神社の隣りに与次郎稲荷神社が鎮座する。これは,築城のためすみかを奪われたキツネに佐竹義宣が北ノ丸北西に替地を与えたことにより,恩義に感じたキツネが飛脚与次郎として仕え,江戸~久保田間を6日で往復していた。しかし6年後の慶長14年出羽国村山郡(山形県)で殺害されたので,義宣がこれを哀れんで花園山(北ノ丸)に社を建ててまつったとの伝説を持つ。廃藩置県後楢山登町(ならやまのぼりまち)に移され,明治29年8月八幡神社の境内である現在地に移った(伊頭園茶話・秋田沿革史大成)。近くには佐竹義堯の像が立ち,本丸は桜の名所でもある。例祭は5月5日と9月17日。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7022511