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八幡神社
【はちまんじんじゃ】


横手市金沢(かねざわ)公園鎮座。祭神は誉田別(ほんだわけの)命・息長帯媛(おきながたらしひめの)命・玉依媛(たまよりひめの)命。社伝では,後三年の役の後に石清水八幡を勧請したという。「秋田風土記」では源義家が戦場で兜の中に籠めていた八幡の像を社殿を建ててまつったのが創始という。金沢八幡宮と称し,近世佐竹義宣が慶長9年社殿を造営し社領35石を寄進した。正月の元旦から15日までと,8月の1日から15日までの間に死人のあった場合,金沢本町・金沢中野・金沢東根・金沢西根では,村内に葬らず他村に埋葬することになっていた。「六郡祭事記」によると,神職は三浦氏で,祭礼日にお供えする神酒にはツバキの葉と松・竹を添えたという。大般若波羅蜜多経の写経600巻のうち488巻が社宝として伝わり,県の重要文化財となっている。近代の「後三年役絵巻」5巻の写本も所蔵されている。この神社は伝金沢柵跡の頂上近くに建っているが,金沢柵がこの狭小の丘に限られるとは認めがたい。麓には鎌倉権五郎の功名塚や,厨川(くりやがわ)などがある。秋田藩主佐竹氏は慶長以後10数回の社殿修築をしたが,後三年の役の副将が佐竹の祖新羅三郎義光であったことが,その崇敬心を深めさせたものであろう。「秋田風土記」では28間×48間,宮殿7尺×1間半でクヌギ葺。神楽殿は2間×5間半。一ノ鳥居は高さ1丈3尺4寸・幅9尺。二ノ鳥居は高さ1丈2尺5寸・幅9尺であった。末社の甲八幡宮も,同じ日の例祭。義家の甲を埋めまつった社であると伝える。「六郡祭事記」や「秋田風土記」にみえた神主の三浦氏は現在も社家であり,昭和5年に県社に列した。例祭は現在9月15日となっている。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7022513