覇別村
【はべつのむら】

旧国名:出羽
(古代)太平川流域の古名であろう。天長7年秋田地方の大地震で,本流秋田河(雄物(おもの)川)の水涸れとともに支流の添河・覇別河が両岸崩壊し閉塞したことが記録されている(類聚国史)。覇別村は元慶の乱の際に終始国衙側に属し忠勤を励んだ俘囚村の添河・覇別・助川3か村の1つである。伝本によっては,元慶の村名は霜別と記され「しもわけ」と読まれる例(地名辞書)もあるが,天長の河名との関係からも覇別とあるのが正しいと考えられる。「はわけ」と読む説(山川「秋田県の歴史」)もあるが,添河(旭川)の上流の仁別(にべつ)のように,「べつ」と読むのが正しいであろう。なおこの地震で,従来高清水岡の北を通った秋田河の水流が,今のように南を通るように変わったとする説(秋田断層,即ち天長大地震の震源に就て「地理学評論」3の8)があるが,これは「類聚国史」の誤読によるものである。地質学的にも妥当性は薄いという。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7022575 |





