100辞書・辞典一括検索

JLogos

85

東根小屋町
【ひがしねごやまち】


旧国名:出羽

(近世~近代)江戸期~昭和41年の町名。久保田東根小屋町・秋田東根小屋町ともいった。江戸期は出羽国秋田郡のうち。秋田藩領。久保田城下町の1つ。元和6年4月の屋敷割によって成立。町名は佐竹氏の築城以前,この地の豪族三浦氏に労働力や物資を供給しつつ農耕に従事していた根小屋百姓の居住地であったことにちなむ。江戸期は上(うわ)根小屋町と呼ばれ,上・中・下の3丁に分かれ(久保田大絵図),北に接する広小路から南側の土手に至る南北に細長い町で,大身の武家屋敷が集中し,内町の中心的存在であった。広小路に面して通りの東側に十二所守備の茂木家,その南に今家・信太家・小野寺家と並び南端に佐竹東家の屋敷があり,また通りの西側には,これも北から南に石塚家(家老),秋田藩の馬場を隔てて渋江家・黒沢家・大沢家と並んでいた。馬場は寛政元年藩学の御学館となり,同7年には医学館を付設,文化8年明徳館と改称。明徳館は慶応4年奥羽鎮撫軍九条総督の宿舎となり,廃藩置県後,明治5年にはここに県庁を移管するなどのこともあった。明治4年から秋田町の町名。同11年南秋田郡に所属。同22年秋田市の町名となる。県庁跡地に明治7年県太平学校が創立。同11年秋田師範学校と改称,同12年には校内で第1県会が開かれている。同15年付属小学校創立,同15年には中学師範予備科が秋田中学校として独立,同42年同師範学校の手形移転に伴い,同校舎は女子師範学校が使用するなど,長く県文教の中心として機能した。女子師範学校は昭和3年焼失,同5年保戸野原の町に移転し,その跡地は現在の秋田赤十字病院となる。石塚家の跡地には明治11年秋田城から八幡神社(現千秋公園内,八幡秋田神社)が遷され,同32年までこの地にあり,その跡地に弥高(いやたか)神社(現千秋公園内)が大正5年まで鎮座,大正11年から昭和36年までは県立図書館があった。同図書館はこれより先,明治36年に全国に先駆けて巡回文庫制を採用している。明治35年,黒沢家の南に第1高等小学校が設立され,大正2年中通尋常高等小学校と改称,大正14年焼失したが昭和2年に新築された。現在の中通小学校の前身である。また場所不明ながら近くに明治19年秋田英語学校が創立され,同20年校内にキリスト教会を設置している。茂木家の南は第2次大戦前知事公舎があったが,戦後財務局に変わった。また佐竹東家の跡地は明治8年県立秋田病院が移転,新築,県立医学校を併設したが,同21年廃止され,その後昭和10年まで秋田中学校,その手形移転のあとをうけて昭和14年から43年まで秋田赤十字病院があった。明治17年には東根小屋町ほか26町の戸長役場が置かれた。同18年の戸数108(秋田町字分戸数調)。昭和41年住居表示実施により中通1~6丁目の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7022623