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日役町
【ひきじまち】


旧国名:出羽

(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は出羽国由利(ゆり)郡のうち。城下町本荘の一画をなす。慶長7年~元和8年最上氏領(楯岡豊前守代官支配),同8年本多正純領,同9年から本荘藩領。町方(まちかた)に属し,東は鍛冶(かじ)町・桶屋(おけや)町,西は出戸町(でとまち),南は後町・猟師町,北は子吉(こよし)川に面する。元禄6年木工祖神を当町の大工職一同が勧請した鹿香神社がある。子吉川を背にし多くの寺院が並ぶ。岩松山蔵堅寺(曹洞宗峨山派正法寺末寺)は開基は文明2年(羽陰温故誌には延徳元年とある),正法寺4世良然和尚の孫弟子良芳和尚が松ケ崎に1宇を創建したのに始まり,寛文6年(羽陰温故誌には慶長年間とある)同寺12世大牛和尚の代当町に移転という。瑞光山泉流寺(曹洞宗永平寺派加賀大乗寺末寺)の開基は観応年中明峯拒哲和尚が当町に1宇建立とするが,一説には観応元年松ケ崎村に開基し元和8年当町に移転したとする(羽陰温故誌)。寛永4年紫衣事件により京都妙心寺の単伝が配流の際,藩主六郷兵庫頭正乗は当寺に住まわせた。当年87歳。寛永9年許されて96歳で没す。法爾山天然寺(浄土宗鎮西派増上寺末寺)は開基を万誉良然といい,檀家代表を小園孫九郎とする。永禄年中亀田赤穂津之郷松ケ崎村に浄土庵と称したのに始まり,元和8年第5世寂誉の時当町に移転。明暦2年増上寺から本末御尋ねあり,延宝元年末寺たることを認められた。吉水山広誓寺(浄土真宗東派東本願寺末寺)は開基を俗姓常陸介宗茂(源三位頼政曽孫),法名是信とし,陸中国南部に1宇建立し本浄寺といい,のち仙北(せんぼく)郡六郷に移転し善証寺と改称,天正6年法孫信玄が大野松ケ崎に移転し広誓寺と改め,寛文5年当町に移転したとする(本荘自治史)。慶安元年広誓寺6代目住職了専,寺内に専徳寺・了善寺2寺を建立し,前者に宥長,後者に正玄を住僧とした(本荘自治史)。「羽陰温故誌」には天和2年僧弓専,寺中に2か寺を建立とある。他に開基創建とも不詳ながら唯称庵(浄土宗鎮西派天然寺末寺)もある。明治22年以降由利郡本荘町,昭和29年からは本荘市の町名となる。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7022632