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町村①
【まちむら】


旧国名:出羽

(中世)戦国期に見える村名。出羽国秋田郡のうち。天正19年正月吉日「秋田郡御蔵入目録写」に,「まち村」18石余と記載(秋田家文書)。太閤検地の結果,豊臣秀吉が秋田実季領であった当村を太閤蔵入地に指定,その上で実季に管轄を委託したことを示す。秋田家から蔵入地管轄の結果を豊臣方に報告した「御蔵入御物成納帳」が,慶長2~6年の5年間分5冊現存。そこでも,町村18石余を固定し,物成率14~35%と記載。村名は戦国期の城下町により,当地方の各地に存在。上記の目録写には豊島城下の町村があり,同日に実季領と認定した中にも五十目(ごじゆのめ)の上町村が記載。町村18石余は,上記諸帳簿ではいずれも久保村・館越(たてごし)村・町村・山内(さんない)村の順で記載。順序に意味があるとすると,五十目地方の山内城の城下町か,馬場目(ばばめ)城の城下町となる。特に後者は,近世以降も馬場目村を構成する枝郷町村として村名を継承し,現在も小字の町村として地名をとどめ,上記の久保・館越両村に南接する。比定地としては最も可能性が強い。「慶長6年秋田家分限帳」で,秋田氏一門とみられる不染斎の代官所支配に指定された「五十目庄」内6か村の中に,上町村844石余・下町村25石余とあり,石高から推して,この下町村は蔵入地指定の町村18石余と同一ではなかったかと推定される。実季委託の蔵入地の村々は実季の実質支配下にあり,天正19年以降の秋田家による検地打直しを受けていたことは他村の例で知られる。18石から25石への変化はその結果であろう。下町村の呼称は同じ五十目地域内での上町村と区別するためであったかと推定しておく。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7022970