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谷地町
【やちまち】


旧国名:出羽

(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は出羽国由利(ゆり)郡のうち。城下町本荘の一画をなす。慶長7年~元和8年最上氏領(楯岡豊前守代官支配),同8年本多正純領,同9年から本荘藩領。家中(かじゆう)屋敷に属し,八幡神社の門前町として八幡小路と呼んだ所。八幡神社は,文安5年8月大野村に鎮座,慶長12年当地に移す。元和2年楯岡豊前守満茂が宮社を造立,その後貞享4年六郷阿波守政晴が再建。社地は,本来万寿元年に鎮座した句須志神社の地であったという。句須志神社は現在も境内社として残る(本荘自治史)。一説に,八幡神社は,堀河天皇の寛治年中菖蒲崎中島(現川口)にあったが,洪水の厄に遭い文安5年5月岩清水八幡の分霊を奉斎,享保5年10月六郷政晴が修理し,宝暦9年政経が再建したともいう。明治16年5月9日県社となる。また当町は,藩の儒臣皆川宗海の生地でもある。黴毒病院があり,明治14年普救病院とし,さらに同16年公立由利病院として美倉(みくら)町に移転(羽陰温故誌)。東は寺小路(花畑(はなばた)町),西は桜小路(東町),南は柳町(本田仲町),北は田地(現在は出戸町(でとまち))。明治22年以降由利郡本荘町,昭和29年からは本荘市の町名となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7023232