100辞書・辞典一括検索

JLogos

54

吉乃鉱山
【よしのこうざん】


吉野鉱山と書き,増田鉱山ともいった(鉱山誌など)。平鹿(ひらか)郡増田町の鉱山。国鉄奥羽本線十文字(じゆうもんじ)駅の東方8km,成瀬(なるせ)川下流右岸,真人(まとう)山の北部に位置する。近くに増田鉱山がある。黒鉱鉱床で,上部は塊状,下部は網状となり,2大鉱体よりなる。金・銀・銅・鉛・亜鉛・硫化鉄鉱と重晶石を産出した。鉱山は吉野・増田の地名に由来するという。享保5年大沢,元文2年金堀沢,安永5年下吉野,寛政7年暗かり沢,文化2年大沢,弘化元年水上沢,安政2年水上沢で,それぞれ採掘が行われている(佐藤家文書など)。明治10年佐藤巳之松らが水上沢を稼行し吉野鉱山と称した。同27~28年頃池田孫一が再開,以後高橋良助・磯部正勝・佐藤幸吉らが継承し,増田鉱山と称した。同40年に成田恭作が買収,同44年から採掘を開始した。大正3年休山,同4年大日本鉱業が事業を継承し,諸事業を拡張・整備し吉乃鉱山と改称した。同6~7年頃は最盛期に達し,3,000人近い労働者を集めた。採掘・選鉱された鉱石は,十文字駅まで,鉄索・馬車・馬そりなどで運搬された。同時期に吉乃鉱山製錬所設置問題が起きたが,地元の強烈な反対運動があり,実現するに至らなかった。その後幾度かの盛衰があったが,昭和16年以降,軍部の要請により,増産を目標に努力し,年間1,000 t 以上の銅を生産した。しかし,鉱害対策はほとんど行われず,今日に禍根を残すことになった。第2次大戦後は銅価の高騰した昭和25~26年頃一時経営は好転したが,高品位鉱を掘り尽くし同32年休山した。全盛期には吉野地区に社宅14,鉱夫長屋40余棟・組飯場11棟,他に供給所・郵便局・診療所・クラブ・会館・山神社・学校・飲食店などが建設され,典型的鉱山集落が形成された。労働力の供給,関連下請産業,農林業,商業などの発達・展開を通じて影響を受けたのは,東成瀬(ひがしなるせ)・稲川・増田・十文字(じゆうもんじ)・平鹿(ひらか)の5か町村であった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7023368