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安久津八幡神社
【あくつはちまんじんじゃ】


東置賜(ひがしおきたま)郡高畠(たかはた)町大字安久津に所在。旧郷社。祭神は誉田別命ほか11柱。創建年代不明。俗称安久津八幡あるいは東八幡。東八幡とは米沢市大字広幡町成島の成島八幡神社を西八幡社とし,置賜の二大八幡社の意と伝えている(高畠町史上)。社伝によると,康平年間源義家が前九年の役・後三年の役の戦勝の報賽として鎌倉(神奈川県鎌倉市)の鶴岡八幡宮の分霊を勧請したとあり,御霊代として甲冑を奉納したと伝える。この地は平安期には北家藤原氏次いで皇室領に没官された屋代(やしろ)庄内にある(兵範記保元2年の条)。弘長3年に能海・理覚房湛忍の両人が伝法助成のために当社において三周義文・教相義釈を書写し,2部3冊を残している(金沢文庫文書・県史15下)。棟札には天文5年伊達稙宗,天正19年伊達政宗の名を残している(享保2年写/県史15下)。現在の本殿(県文化財)は宝暦5年に上杉重定が建立したもので,桁行3間・梁間2間,コケラ葺きの流造り。境内三島池の三重塔(県文化財)は寛政9年高畠町大字二井宿の工匠戸田半七によって建造されたもので,置賜地方唯一の木造層塔である。斗栱間に彫刻多く,木鼻に象頭・獅子,回縁に欄干をとりつけている。参道途中にある舞楽殿(県文化財)は1間四方の宝形造で,カヤ葺きの頂上には石造露盤・宝珠が置かれ,簡素雄健,鎌倉期の遺産である。高畠の地は康暦2年以降伊達氏の置賜攻略の前進基地および領有治政の本拠であり,八幡信仰の具体的宮社として安久津八幡に厚信をしたものであるが,村落在家の存在も無視できない。大永8年の賄方の手控役銭帳をみると,多くの在家が地頭などとともに8月15日の例祭に奉仕し上納銭を入金している(安久津八幡社,例祭物取並支払帳)。例祭は一社相伝の神楽舞を奏し,古式による流鏑馬騎射が行われ,神仏両部の祭典を厳守している。民俗行事に管粥の作占を伝える。氏子290(山形県神社誌)。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7023500