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羽州街道
【うしゅうかいどう】


福島の北,北桑折(きたこおり)(現福島県伊達郡桑折町)で奥州街道より分かれる江戸期の奥州道中の脇街道。北桑折から小坂峠を越えて宮城県に入り,小原・七ケ宿(しちがしゆく)を経て金山峠を越えると本県に入る。上山(かみのやま)市・山形市・天童市・東根(ひがしね)市・村山市・尾花沢(おばなざわ)市・北村山郡大石田町・最上郡舟形町・新庄市・最上郡金山町・同郡真室川(まむろがわ)町を経て雄勝(おがち)峠を越え秋田県に入る。横手市・秋田市・大館市を経由して青森県に入り,弘前市から青森大浜(青森市)に至る。小坂より大浜まで宿駅58次。古代以来の有屋峠越に代わり雄勝峠越が用いられているのが特色で,この経路は江戸初期に秋田藩院内銀山奉行梅津政景の往来により整備された。また奥羽山脈越えは山形から笹谷峠を経て奥羽街道に出る往還があったが,峠が高く,冬季の豪雪・吹雪に悩まされたため,秋田藩主佐竹氏が金山峠越の七ケ宿通りを整備し,以来羽州街道は参勤交代の重要な幹線路となった。往来した大名は秋田藩佐竹氏をはじめ弘前藩津軽氏・庄内藩酒井氏・新庄藩戸沢氏や黒石・亀田・秋田新田・本庄・松山・長瀞(ながとろ)・天童・山形・上山の大小13藩で,板谷街道を用いた米沢藩上杉氏を除くと出羽・津軽の藩主の大方が往来した。県内の宿駅は南から楢下(ならげ)・上山(現上山市),黒沢・松原・山形(現山形市),天童(現天童市),六田・宮崎・楯岡(たておか)(現東根市),本飯田(もといいだ)・土生田(とちゆうだ)(現村山市),尾花沢・名木沢(現尾花沢市),舟形(現舟形町),新庄(現新庄市),金山(現金山町),及位(のぞき)(現真室川町)の17駅が設けられた。このうち松原と黒沢,六田と宮崎,土生田と本飯田は全くの農村を駅場に用いたもので,それぞれ本駅と支駅の関係にあり,本駅は常設人馬が25人・25匹,支駅は月の下旬10日間だけ人馬継立てを行った。羽州街道は商人荷や城米輸送を最上川舟運にとられ,輸送荷も少なく,宿駅の経営も容易でなかった。及位駅は一村のみの継立てが困難で周囲に寄郷もなかったため,元禄5年から院内(秋田県)・金山両駅の補助継立駅となった。また近世中期以降は谷地(現西村山郡河北(かほく)町)から横山(現大石田町)に至る西部街道が台頭して,しばしば商人荷輸送をめぐって羽州街道側の宿駅との紛争が生じた。楢下地区は当時の面影をよく残している。明治14年栗子峠に栗子トンネルが完成し,万世大路(ばんせいおおじ)として整備されてから金山峠の利用は減少した。上山以北の羽州街道の大部分は,明治18年2月に国道39・40号に指定され,大正9年4月に国道5号,昭和27年12月に1級国道13号,昭和40年に国道13号と改称している。その後交通量の増大に伴い各地にバイパスの建設が進み,現在は羽州街道の大部分は県道尾花沢天童山形線となり,旧国道と通称されている。街道の史跡・文化財として楢下宿の一部,明治初期の石橋,上山市三本松(米沢街道の分岐点)の追分道標,新庄市泉田~横根山間の松と杉並木,金山町日当の松並木などがある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7023854