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江戸街道
【えどかいどう】


清川街道・狩川街道ともいう。鶴ケ岡城下(現鶴岡市)より清川口(現東田川郡立川町)に出て,最上川を川船で上って羽州街道に合流する庄内における最も主要な街道。鶴岡より押口村(現東田川郡藤島町)の渡しで赤川を渡り,幕野内・渡前・藤島・四ツ興屋(現藤島町),狩川(現立川町)を経て清川口に至る。庄内藩主酒井氏が参勤交代の際通った主街道で,全長約5里。名称はこの街道が江戸への参勤道であることにちなむ。押口渡しには街道船と称する幅1間・長さ8間余の大船が置かれ,馬も一度に6頭渡せたという。街道に残る一里塚として旧上藤島村(現藤島町大字上藤島)六所神社の西側に道をはさんで2つの塚があり,東にはエノキ,西にはナシの木が植えられていたと伝えられる。また旧大半田村(現藤島町大字大半田)にも街道をはさんで2つの塚があり,北側の塚には2基の道標と松の古木が残されていたが,現存しない。備中街道との合流点には道標が現存する。万治元年には下町(現藤島町)に庄内藩の御茶屋が建てられ,本陣とも呼ばれて藩主の参勤や鷹狩りの際の宿泊または休憩場所となった。この御茶屋は丸岡(現東田川郡櫛引町)に蟄居させられた加藤忠広の旧邸で,明治5年には松ケ岡開墾地に移され,その集会所となった。現在江戸街道の鶴岡~狩川間は国道345号,狩川~清川口間は国道47号となっている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7023933