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月山神社
【がっさんじんじゃ】


東田川郡立川町,月山頂上に所在。山麓の同町大字立谷沢にも月山神社がある。旧官幣大社。祭神は月読命。崇峻天皇の御子蜂子皇子が建てたと伝えられるが,草創は不詳。ただし出羽の「山の神」で最も早くから尊崇されたと思われる。四季白雪をいだいて静かに横たわる月山の山容に古代人は神の姿を見出したのであろう。文献上の初見は「新抄格勅符」で宝亀4年10月神封2戸を寄せるとある。ついで貞観16年正四位上勲六等より従三位に進み,それ以来正三位,神封2戸追加,勲四等と進んだ。これらの昇位は東夷征討戦あるごとに奇験をあらわしたとされたためと思われる。元慶の乱の時も,出羽権守藤原保則は,大物忌・月山・袁物忌の3神は「上古時ヨリ征戦有ルニ方(あた)リ,殊ニ奇験ヲ標ス」と上奏しており,元慶4年従二位を授けられた。仁和元年石鏃の怪があった時にも大物忌神とともに国司の祭祀を受けた。また月山神は貞観4年頃から大物忌神とともに国幣社になっていたと思われる。「延喜式」では国幣大社とされている。ここで問題になることは式内社月山神社は飽海(あくみ)郡にあるとされていることである。月山神は「山の神」でもともと田川郡にあったはずである。それがのちに飽海郡に移ったともとれる。総合して考えて,元慶の乱の際,鎮定祈願のため,月山神と大物忌神の両神が国府近くの吹浦(ふくら)(遊佐(ゆざ)町)に並べ祀られるようになったという説が有力である。「延喜主税式」には「月山大物忌神祭料二千束」と記されていた。かくて「鳥海月山両所宮」と称され,「出羽国一の宮」と尊信されるに至った。この両所宮はまた「両所大菩薩」と拝された。これは神仏習合の結果と思われる。月山神(月読神)の本地は阿弥陀如来とされた。阿弥陀如来の垂迹は正式には八幡神であるが,月山神の本地を阿弥陀如来としたのは地方人の信仰に即して説かれたためと思われる。月山の山中に西補陀原と称して,熱心な道者の参拝所がある。また弥陀ケ原と称するところがあり,弥陀の来仰を待つ所と信ぜられた。月山は羽黒山・湯殿山とともに出羽三山と称され,羽黒修験の活躍する霊場とされた。山形市一明院の貞治7年の碑には「月山行人結集等百余人」とあり当地の士庶の間に月山信仰が如何に強かったかを示している。江戸期に月山神は将軍家より689石の朱印地を給されていた。明治期にも国幣社から官幣社に昇格し,大正3年にはついに官幣大社にまでなった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7024365