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上楸島村
【かみぐみじまむら】


旧国名:出羽

(近世)江戸期~明治9年の村名。上茱萸島村・上組島村とも書いた。庄内地方,庄内平野北部,月光川中流右岸に位置する。地名の由来は,当村の周囲に茱萸が多く自生していたことによる。はじめ遊佐(ゆざ)郡,寛文4年からは飽海(あくみ)郡のうち。はじめ上杉氏領,慶長6年最上氏領,元和8年からは庄内藩領。遊佐郷に属す。村高は,元和8年の御知行目録では上茱萸島村として298石余,寛永元年の庄内検地高辻では上組島として335石余,「天保郷帳」324石余,「旧高旧領」326石余。享和3年の御郡中村数家数人高控帳(遊佐町,斎藤家文書)では,家数12軒・人数22。幕末期の「弐郡詳記」によれば,免4ツ9分,家数10軒。鎮守は三上神社で倉稲魂命を祀る。村内久保前には曹洞宗洞竜山梅林寺があり,酒田の海晏寺雪心祖清大和尚の開創。楸島組の大組頭石川作右衛門は代々当村に住み,寛永9年遊佐・荒瀬両郷の農民が由利・仙北に逃散した際,藩命で由利郡・仙北郡(秋田県)に行き農民を連れ戻した。翌10年その功により菅原次右衛門とともに遊佐・荒瀬両郷の大肝煎となり,禄10石を賜った。同年酒田亀ケ崎城付近の農民が旱魃のため困却しているのを助け,同11年には菅原次右衛門とともに由利・仙北から連れ戻した農民を集めて下野沢新田村・北目新田村・大井新田(大井村のうち)・平津新田村・天神新田村などを開発した。さらに同19年遊佐郷の農民が仙北に逃散した際,藩命により連れ戻し,大井村・鵜沼村の谷地を開発して仙北新田を開いた(飽海郡誌)。鶴岡県を経て明治9年山形県に所属。同年宮田村に合併。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7024468