京塚①
【きょうづか】

旧国名:出羽
古くは,経塚とも書いた。最上地方,鮭川の中流部に位置する。地名は,地内湯舟沢に築かれた経塚に由来すると考えられる。近世に京塚の字が当てられたが,これは新庄藩2代藩主戸沢正誠の命によったという(真室川町史)。当地の地名は,中世の文書・記録には見えないが,元和8年の「金右馬允高名覚書」に「一,まむろの内きようつかと申所にて首壱ツ取申候」とあり,この合戦は天正9年の最上義光と庄内武藤義氏との戦いとみられる。戦国期,当地は現在の最上郡大蔵村大字清水に根拠をもつ清水氏の支配下にあったが,その家臣武田河内が1万5,420刈を領し(清水大蔵大輔分限帳/戸沢氏以前史料集),経塚楯を築いて支配していたという(新庄古老覚書)。地内には,縄文中期の上牛潜遺跡があり,また字湯舟沢には,応永2年の年紀を有する板碑がある。
【京塚村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【京塚(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7024803 |





