京田通
【きょうでんどおり】

旧国名:出羽
(近世)江戸期に見える通り名。田川郡のうち。庄内藩の行政区の1つ。庄内平野の中央部,赤川左岸一帯の平坦地域。属した村々は,幕末期の「弐郡詳記」によれば,青山・猪子・成田新田・大宝寺・道形・文下・湯野沢・斎藤興屋・平京田・西京田・高田麦・北京田・覚岸寺・荒井京田・中京田・小京田・本郷・茅原・新形(以上19か村京田組),上小中・谷地館・下興屋・菱津・馬町・宮ノ下・辻興屋・長崎・西茅原・茨新田・道地・西堀・黒森・坂野辺新田・浜中・宮ノ浦・広岡新田・中野京田・千安・丹波興野・林崎・阿部興屋・論田・松井新田・森岡新田・十里塚(以上26か村西郷組),加茂・今泉・油戸・金沢・宮津(以上5か村加茂組)の50か村。また,幕末期の「荘内要覧」によれば,上記のうち,西堀(西郷組)を西沼とし,宮ノ下・十里塚(以上西郷組)・宮津(加茂組)の3か村を除き,さらに大山・砂押・下小中・栃屋・友江・柳原新田・千安京田・面野山・下川・湯野浜・新興屋・菖蒲沼・角田二口・善阿弥・東沼・尾花・天神堂・野中新田・漆島・播磨京田・野興屋の21か村(大山組と称す)を加えた68か村となっている。同史料によれば村高の合計は,京田組(19か村)が1万1,722石余,西郷組(24か村)が6,449石余,加茂組(4か村)が254石余,大山組(21か村)が1万1,319石余で,総計2万9,746石余と記されている。慶安2年酒井忠解の分知の際,京田通の一部(1万66石余)は大山藩領となり,寛文9年に幕府領,元治元年には再び庄内藩領となった。庄内地方,現在の鶴岡市・三川町・酒田市のあたり。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7024807 |