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笹谷街道
【ささやかいどう】


奥羽山脈を越え仙台城下と山形城下を結ぶ最短距離の街道。山形城下から馬見ケ崎(まみがさき)川上流の新山・関沢(山形市)を経て,雁戸山とハマグリ山との接する鞍部の笹谷峠にかかり,名取川上流の笹谷・赤石(宮城県柴田郡川崎町)を経て仙台城下に至る。多賀城(宮城県)と出羽国府を結ぶ重要な街道として,平安期頃から利用されていたと思われ,通称八丁平と呼ばれている峠付近には,有耶無耶の関または大関という関所があったと伝えられる。慶長5年の出羽合戦に際しては,伊達政宗の重臣留守政景が大軍を率いて峠を越え,最上氏の救援に向かった。秋田藩佐竹氏の院内銀山奉行梅津政景の日記には,彼が江戸との往来にこの街道を用い,山形市域から笹谷峠を越え宮城県白石あるいは同県刈田郡斎川にぬけたことが記されている。羽州街道整備以前の時期(江戸初期)の主要道であった。旧街道は鞍部の最低点標高906m地点から南東に40m余高い地点を通った。明治期以前には山形側から塩・塩肴・三河木綿・和紙・生糸・紅花(べにばな)などを移出し,仙台側から生肴・竹・卵などを移入した。新山・関沢・笹谷は峠集落としてにぎわった。しかし,明治15年の関山峠の改修で利用度が減少した。明治26~28年に馬車を使う街道として改修して一時復活したものの,同34年国鉄奥羽南線福島~山形間の開通により急速にさびれた。道筋の変遷は滑川(なめかわ)(現山形市)~笹谷峠間はほとんど一本道で変化がないが,滑川~山形間は,そのまま城下の寺町に入る小白川町路と千蔵山麓を迂回して小荷駄町に至る道筋があった。最上義光の城下整備では仙台側への防備の意味から後者を主道とし,小荷駄町口に番所を置いた。小白川町1丁目の小白川至誠堂病院前に「一里塚」と刻まれた大神宮の石碑がある。街道の一部は昭和29年1月に主要地方道に指定され,同44年12月国道286号に昇格した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7025284