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椙尾神社
【すぎのおじんじゃ】


鶴岡市大字馬町に所在。旧県社。祭神は積羽八重事代主大神とその后神天津羽命で,のちに竜田彦大神・竜田姫大神・大物忌大神・月山大神が勧請された。火災で史料が焼失しているため不明。鎌倉期~室町期に大宝寺城主であり,天文年間からは尾浦(大浦)城主であった武藤氏の外護があり,大物忌・月山2神の勧請は同氏によるものと伝えられている。近世にも,上杉氏・最上氏・酒井氏らの領主の外護をうけ,椙尾山神宮寺大明神社領170石余が,馬町村・宮野下村・野興屋村・湯野浜村・面野山村・下川村に寄進されていた(義光公諸寺社黒印帳)。維新前は神仏習合し,石鳥居唐全額の表には杉尾山,裏には神宮寺と刻まれている。当時は永福寺(真言宗)が学頭を勤め,6人の山伏(神宮寺・金勝寺・少勧寺・吉祥寺・金光坊・地蔵院)が椙尾神社六供を勧めていた(椙尾神社調査報告)。神仏分離後,梵鐘・薬師如来像などの仏教関係のものは永福寺に移された。「慶長十六年辛亥七月吉日,大檀那下治右衛門尉実秀拝施主,於越前国北之庄作之」の銘をもつ石鳥居は,県文化財である。下氏は上杉景勝のち最上氏の部将。また同社の算額は文政元年のもので,この地方の算額のうち最古のものであり,大山(現鶴岡市)の和算家田中万春一派が納めたもの。農業神として近隣農民の信仰を集め,30数か村が氏子となっており,上・大山・下の三頭屋区域がある。一方酒造神として大山村酒屋衆の信仰を集め,また古くは漁業神として日本海岸の金沢村などが御贄浜として海魚を献上していたという。6月5日に例祭があり,犬まつりと通称され庄内三大祭の1つ。人身御供をあげなければならなかった怪物を丹波のメツケ犬の力で倒すことができたという故事によって行われる。6月30日の水無月大祓はタイマツ祭と通称される。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7025811