田井渡し
【だいわたし】

西村山郡河北(かほく)町大字田井にあった最上川の渡し。同町は東部を最上川,南部を寒河江(さがえ)川に囲まれていたので,町内の最上川流域には,上流から田井・新町・前小路・吉田などの渡し場が設けられていた。田井渡しは谷地(やち)から天童脇街道へつながるもので,旧田井村字中宿に渡船場があった。平水渡船の場合は谷地街道の取付から川幅130間を直角に向新田に渡す。大水のときは乱(みだれ)川渡河の不便を避けて,平水渡船場から175間上流地点,川幅325間を渡して,乱川南西岸に着船するきまりであった(河北町の歴史)。明治6年には大小3艘の渡し船があり,人は1銭,荷物1駄2銭。同21年には歩行1人1銭,人力車1人乗挽夫共2銭5厘,牛馬1匹1銭3厘,乗駕籠1挺4銭,渡し船は長さ5間・幅5尺5寸と長さ3間・幅3尺2寸であった。明治中期には渡し船の不便を除くため架橋運動が起こり,田井架橋会社を創立。明治21年7月起工,同22年6月に橋長150間・幅員3間の田井橋が竣工され,田井渡しは廃止された。村費で造った橋なので,渡銭が徴収され,人は8厘,人力車・荷車は2銭,荷馬車は5銭であった。田井橋は昭和16年に廃止され,現在はやや下流地点に谷地橋が架設されている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7025968 |





