手向
【とうげ】

旧国名:出羽
庄内地方,庄内平野東南部,赤川右岸に位置する。地名は当地から羽黒山・月山を遙拝したことに由来するとも,添川と国見の間の峠にあたることによるともいう。手向の集落は古くから出羽三山の1つ羽黒山の門前集落として発展した。羽黒山上には中世以来清僧修験が住み,麓の手向と添川には妻帯修験が住みつき,双方に門前集落が形成された。慶長19年の添川楯主一栗兵部滅亡の際に添川が戦火をうけて焼失し,修験者のほとんどが手向に移ったので,当地に農民や商人・手工業者が多く集まり一大集落を形成するに至った。「吾妻鏡」の承元3年5月5日条によると鎌倉期の羽黒山は守護地頭不入の権を有し,料田・福田を多数集積していたことが見え,料田・福田を押領し,山内に口入した地頭の大泉二郎氏平は源頼朝による山内安堵を侵害するものだと主張する羽黒山衆徒の訴えによって幕府から無道の張行を禁ぜられている。室町期には諸豪族によって山領を侵され疲弊したが,関ケ原の戦以後は最上義光の庄内領有によって山領支配も安定したという。地内には縄文時代の郷の浜J遺跡・蝦夷館遺跡がある。
【手向村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【手向村(近代)】 明治22年~昭和30年の東田川郡の自治体名。
【手向(近代)】 昭和30年~現在の羽黒町の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7026374 |





