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日枝神社②
【ひえじんじゃ】


酒田市日吉町1丁目に所在。旧県社。通称下山王社。祭神は初め大己貴命,のちに大山咋命・胸形中津姫命を合祀。江州志賀郡(現滋賀県)坂本山王宮より勧請したと伝えられるが年代など不詳。初め田川郡袖ノ浦(向酒田ともいう。現酒田市大字宮野浦)にあり,その産土神であったが,町民とともに現在の酒田市街地に移り一時高野浜(現酒田市北新町)付近に鎮座。慶長6年東禅寺城主志村伊豆守光安の時,荒町(現日吉町2丁目)付近に移され酒田町組の鎮守と定められたものと推定される。当初は大己貴命のみを祭神としたが,中世以降本地仏として釈迦如来を安置し,その社殿を北殿と称し羽黒派修験の不動院が別当を勤めた。元来神体は存在しなかったが,慶長8年酒田長人・上林和泉・永田讃岐ら36人衆が大己貴命の霊代を奉安して南殿(本宮)と称し,東禅寺山王宮(上山王社,日枝神社)の社家斎藤氏をしてその別当職を兼帯させ,北殿を日吉山王権現,南殿を日吉山王宮と称し,南・北両殿をあわせて山王両社と号した。現在5月20日を祭日とするが,慶長14年頃から陰暦4月中の申の日に行われた。正徳2年社殿を現境内に造営後,東禅寺山王宮をも南殿に勧請したため,酒田全町の産土神となった。社殿は享保11年・宝暦元年・安永2年などしばしば大火により焼失したが,本間家をはじめ有力町人の力によって復興された。天明3年本間四郎三郎が特に当社を崇敬し,自ら施主となって社殿を造営した。また神事を盛んにしたため,当社の祭礼は酒田全町をあげての大祭に発展,庄内三大祭の随一となった。明治3年神仏分離の際,本地仏を排して日枝神社と改称。同6年郷社に列し,同9年に県社に昇格した(飽海郡誌)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7027119