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東田川郡
【ひがしたがわぐん】


(近代)明治11年~現在の山形県の郡名。郡区町村編制法施行に伴い,江戸期の田川郡が東田川郡・西田川郡に分割されて成立。成立当時は193か村,戸数1万703・人口6万5,898(地誌提要)。郡役所は藤島村(現藤島町)に置かれ,初代郡長は新潟出身の木村順蔵。明治22年市制町村制施行により,大泉・本郷・山添・黄金・斎(いつき)・東・黒川・広瀬・泉・渡前・横山・押切・長沼・八栄島・藤島・東栄・手向(とうげ)・立谷沢・狩川・大和・十六合(いざあい)・五七里(いなさと)・余目(あまるめ)・新堀・栄・広野の26か村となる。翌23年五七里村から八栄里村が分離し,同24年五七里村は常万村と改称。同年狩川村から清川村が分離。大正7年余目村に町制施行。同11年藤島村に町制施行。昭和12年狩川村に町制施行。昭和29年の町村合併促進法により,大泉・本郷・東の3か村が合併して朝日村,余目村に大和村・栄村・常万村・八栄里村・十六合村が合併,山添村・黒川村が合併して櫛引(くしびき)村,狩川町・清川村・立谷沢村が合併して立川町,藤島町と東栄・長沼・八栄島の3か村が合併して藤島町が成立し,広野・新堀の2か村が酒田市に合併して分離。翌30年,手向・泉・広瀬の3か村が合併して羽黒町,横山・押切・東郷(西田川郡)の3か村が合併して三川村が成立。同年藤島町に渡前村が合併,鶴岡市に黄金村・斎村が合併して分離し,4町3か村となる。昭和41年櫛引村に,同43年三川村にそれぞれ町制が施行されて当郡域は6町1村を編成。戸数・人口は,明治33年1万681・7万8,752,同42年1万966・8万4,043。世帯・人口は,大正9年1万3,003・8万6,218,昭和10年1万4,556・9万4,641,同25年1万7,037・10万7,436,同35年1万6,335・9万4,599,同50年1万6,511・7万6,136。庄内平野の穀倉地帯で,良質の庄内米を産出する。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7027160