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一日市町
【ひといちまち】


旧国名:出羽

(近世~近代)江戸期~昭和41年の町名。明治9~22年鶴岡を冠称。江戸期は鶴ケ岡城下のうち。明治22年鶴岡町,大正13年からは鶴岡市の町名。城下の南東部,内川右岸に位置する。慶長年間は内川の左岸の城近くにあったが,酒井氏入部以後の町割りによって元和9年内川の右岸に町割りされた町人町(大泉紀年)。町名は最上氏のときの山形城下の町名によったという(北窓雑記)。町内で月6回,1・7の日に市が開かれた(閑散文庫/典故志)。呉服屋の多い町で「東講商人鑑」には,呉服太物小間物類問屋美濃屋利兵衛の名が見える。江戸中期には酒屋も多く,酒屋数并酒造米員数之覚書(鶴岡市史)には,17軒の酒屋があった。町の北端の内川端には大庄屋宇治家と安永7年まで御使者宿があった。天和2年の町割家数人数書上帳(県史17)によれば,家数78軒・人数707。元禄7年の川上記(鶴岡市史)では総家数87軒,人数746うち男429・女317。明治11年の一覧全図によれば,反別3町2反余,戸数90・人口570。同13年真澄町を合併。戸数・人口は明治16年107・588(朝暘学校沿革誌/鶴岡市史),同43年115,759うち男347・女412(西田川郡統計表)。大正2年「庄内案内記」に見える鶴岡有名呉服店12軒のうち当町は6軒。鶴岡最初の理髪店・文房具屋・ラジオ店も当町にあった。明治30年両羽銀行鶴岡支店,同31年鶴岡水力電気,大正6年鶴岡劇場(昭和10年焼失)が設立され,昭和4年東北電力が現在地に移転され近代名建築の1つに選ばれている。昭和37年呉服店跡に鶴岡郵便局が移築された。世帯・人口は昭和6年125・860うち男432・女428(市教育会第二回郷土調査),同35年152・676(市統計情報)。昭和41年本町2丁目の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7027213