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吹浦大物忌神社
【ふくらおおものいみじんじゃ】


飽海(あくみ)郡遊佐(ゆざ)町大字吹浦(ふくら)に所在。祭神は大物忌大神。鳥海山頂上に本殿のある旧国幣中社大物忌神社の口の宮と呼び,登山道入口に位置している。鳥海山の山頂では参詣に不便なため,大同元年大物忌神を山麓の吹浦に移したという。そのままは信じ難いが,平安期には成立していた。摂社として月読命を祭神とする月山神社があり,鳥海月山雨所宮とも称されている。その起源については諸説があるが,元慶の乱の時,鎮定祈願のため両神を国府近くの吹浦に並べ祀ったとする説が有力。「延喜主税式」に「月山大物忌神祭料 二千束」とあり,延喜の頃には鳥海月山両所宮が成立していたと思われる。「延喜主税式」にはさらに「神宮寺料一千束」が計上されているが,「三代実録」には仁和元年飽海郡神宮寺の西浜に石鏃が降ったとしている。神宮寺は国府の近くにあり,おそらく月山・大物忌神の別当寺であったと思われる。「鳥海月山両所宮」でも神仏習合が進み「両所大菩薩」の尊称が奉られ,「出羽国一の宮」と在地民から尊崇された。社伝では後三年の役の際源義家が戦勝を祈願したという。中世には鎌倉幕府も重要視したようで,永久2年当地の「北目地頭新留守殿」あてに出羽国両所宮の修造を早く完遂するよう命じている。南北朝内乱の時も北畠親房の子顕信が南朝方の勢力回復を祈って由利郡小石郷乙友村(現秋田県)を捧げる旨の寄進状を本社に奉っている。最上義光分限帳(山形市史史料編1)でも142石の寺領が認められていた。当社でもかつて神仏習合により鳥海修験が盛んで,江戸期には山伏の家が25軒,社家が2軒あった。当社の大祭は5月8日であるが,ほかにも1月5日に行われる管粥神事,旧暦1月と10月の第2または第3の寅の日寅の刻から申の日まで7日間行われる物忌祭,7月14日の夜行われる御浜出神事など注目すべき特殊神事がある。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7027328