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六十里越街道
【ろくじゅうりごえかいどう】


山形城下と鶴ケ岡城下を最短距離で結ぶ街道。山形市から船町(現山形市),長崎(現東村山郡中山町),寒河江(さがえ)・白岩(現寒河江市),海味(かいしゆう)・本道寺・砂子関・志津(現西村山郡西川町)を経て大越(おおごし)峠を越え,田麦俣・大網(現東田川郡朝日村),松根(現東田川郡櫛引(くしびき)町)を経て鶴ケ岡城下に至る。また山形城下から現東村山郡山辺町域を経由して寒河江に至る経路もあったと思われる。そのほかの経路も時期により一定していない(歴史の道―六十里越街道)。古来から庄内地方の塩を内陸部に送る経路として利用されたほか,江戸期には出羽三山行者の参詣道(うち本道寺口・岩根沢口・七五三掛(しめかけ)口・大網口)として利用された。宗教集落として街村型の白岩,海味・横岫(よこぐき)・本道寺・砂子関・志津・田麦俣・大網・七五三掛(現朝日村)などがあった。大網の大日坊や七五三掛の注連寺は湯殿山登山の中心である。庄内からの参勤道は江戸街道であったため,天保年間に一度利用されたのみで,参勤道としてまたは役人の往来には利用されなかった。山形市の稲荷口地区には六十里越の地名が残る。街道名は大網大日坊から本道寺湯殿山神社までを6町1里として数えたことにちなむものと考えられている。六十里越街道の一部は昭和11年9月県道12号に指定され,同28年5月2級国道112号,同40年3月国道112号と改称されている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7028446