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奥州街道
【おうしゅうかいどう】


江戸期の五街道の1つ。奥州道中ともいう。江戸日本橋から奥州白河までの街道で,道中奉行所管にかかわる。日本橋から宇都宮までは五街道の1つの日光街道と重複するから,宇都宮から白河までの街道が狭義の奥州街道である。文化8年6月道中掛が勘定奉行に差し出した覚書では,「奥州道中は白沢より白川迄」となっている。これは白沢・氏家・喜連川・佐久山・大田原・鍋掛・越堀・芦野・白坂・白河の10駅をさし,街道としては宇都宮から白河までになる。鍋掛から白河までは白河路とも呼んだ。白河から陸奥三厩(みうまや)までも奥州道中または奥州街道と呼ぶこともあった。しかしこれは勘定奉行所管で,奥州道中などの呼び名は公称ではない。信達地方に残る古文書では「奥州道中八丁目宿」など,奥州道中の称がしばしば使用されていた。「白河風土記」には白河以北のこの街道を奥羽街道・奥州羽州街道・陸奥出羽往還などと記載し一定していない。信達では出羽奥州往還とも呼んでいた。ただし江戸期に白河でも福島でも江戸街道の称も使用され,行先別に街道名をつけた。奥州道中は奥州・羽州の諸大名の参勤交代の通路で,松前や越後北部の新発田(しばた)・村松の大名もこの街道を使い,往来する諸家は37家に達したという。幕末には蝦夷地開拓・日露関係等が重要な問題となり,函館と江戸を結ぶ要路として往来がにぎわった。明治4年の白河福島県申牒綴には陸羽街道と記載されている。しかし明治6年8月の大蔵省号外達では陸羽道で1等道路,同月の太政官布達第43号で初めて国が陸羽街道と称し,奥州街道の名は消えた。現在の国道4号である。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7029368