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国道4号
【こくどうよんごう】


東京と青森市を結ぶ国道。東京の日本橋を起点として福島・仙台・盛岡・十和田(旧三本木)を経て青森市に至る。総延長は約737kmで,全国第1位の長い国道。近世には俗に奥州道中と呼ばれ,江戸から奥州各国に通じた。明治4年陸羽街道と命名された。福島県には西白河郡西郷村大字小田倉の黒川で入り,伊達郡国見町貝田の宮城県境まで約114.3km。福島県の最も重要な経済地域である中通り地方(阿武隈川筋)の諸平地を連ねて南北に縦走する。古い街道なので,何回か大規模な換線をしており,歴史的に名高い白河関跡は,現路線のはるか東方にあたる旗宿の集落(白河駅から東南へ約12km)にあり,この路線は標高470mの峠を越えた。その後,これよりは西に移って,現在の国鉄東北本線に近い白坂経由と変わり,さらに明治19年に現在の小田倉経由の路線に変わった。現在の路線沿いにある栃木・福島県境の峠は標高416m。福島県内では,丘陵はあるが,さほど大きな急坂や隘路は少ない。難所は松川(福島市)~福島間にある福島盆地の斜面を上下する区間(通称伏拝坂)である。古くは松川(昔の八丁目)から関谷を経て平石の谷に通じたとも伝えられるが,近世には若宮・清水町を通る現在の国道4号の路線になっていた。明治天皇の東北巡幸の折も,伏拝坂を下ったとの記録がある。福島県から宮城県に出る県境の区間が丘陵地にかかり,明治初期までは国見峠,あるいは下紐の関と呼ばれる急坂を通っていた。標高150m程度であるが,麓の福島盆地床は60mの低い位置にあるので相当の急坂である。明治以降何回か換線されて,現在のようになった。国道4号と名づけられたのは大正7年に「道路法」が成立し,これに基づいて同9年に内務省告示第28号が出された以後のことである。現在まで継続的に改修作業が行われ,特に第2次大戦後は8次に及ぶ道路整備5か年計画が実施されつつあり,大規模な拡幅・舗装あるいはバイパス工事が進行し,全線が舗装され,自動車交通の時代に対応している。福島・二本松・郡山・須賀川・白河などの都市区域のバイパス工事や,県境近くの丘陵地のバイパス工事はほぼ完成し,昭和54年現在は農村集落を通過する地区(福島・安達)や高速道路と関連する地区(本宮)のバイパス工事が行われている。昭和52年福島県調査の12時間における交通量は,郡山市街地において最も多く,2万7,533台(うち乗用車1万5,984台)である。2万台を超すのは郡山と福島市街地区だけである。1万~1万5,000台の区間が最も長く,鏡石・須賀川・本宮・二本松・安達・福島市松川・同瀬上の区間である。この区間中に郡山と福島の市街地区が2つの核心のように1万5,000台以上2万台の交通量を示す。矢吹以南の栃木県境と桑折以北の宮城県境までの交通量は前者が4,000~7,000台,後者がほぼ5,000弱~8,000台近くであり,県の中央よりは格段に少ない。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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