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阿弥神社
【あみじんじゃ】


稲敷郡阿見町竹来にある神社。延喜式内社。旧県社。祭神は建御雷之男(たけみかずちのお)命ほか。古く竹来明神と称し,信太(しだ)郡二宮とよばれる。社伝によれば和銅年間の創建という。「風土記」信太郡の条に見える「普都大神」の伝承の地といい,大神が葦原の中津国平定後その報告のために高天原に昇る時,この地に器杖(いつ)・甲などを脱ぎおいたという。「延喜式」神名帳信太郡に阿弥神社と見える。治承3年5月の常陸国総社造営注文案には「竈殿一宇三間 三村竹来社」と見え(常陸国総社文書/県史料中世Ⅰ),造営役を課されていた。永和元年11月の信太庄上下条寺社供僧等申状案は南北朝期の信太郡の寺社の僧侶・神官などが,共同で信太荘領主小田孝朝に提出したという珍しい申状であるが,同申状に「右寺社者,往古之仏閣,数代之社等也,就中木原・竹来両社者,庄内第一之惣廟也」と見える(円密院文書/県史料中世Ⅰ)。この申状のおそらく中心的な者が竹来社であったと推定できる。木原社は楯縫神社のことで,両社が荘内第1の神社とされ,この頃までに当社を信太荘二宮,木原社を一宮とする考え方が広まっている。江戸期には信太西40余村の鎮守とされた(県神社誌)。明治6年に阿弥神社の社号に改めて県社となる。同町内には同名の阿弥神社(阿見町阿見,旧郷社)があるが,式内社の阿弥神社は一般に当社とされる(新編常陸)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7035239