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阿波山上神社
【あわさんしょうじんじゃ】


東茨城郡桂村阿波山にある神社。延喜式内社。旧郷社。祭神は少彦名(すくなひこな)命。佐加利子明神・降子明神(下子とも書く)と称した。「あわやまのうえ」「あわやまのかみ」ともよんだ。社伝によれば大宝元年12月の創建という。「新編常陸」には,この神は「童子ノ形ニシテ,手ニ粟穂ヲ持チ,杉樹ノ上ニ降リ玉フ,故ニ降木明神ト云フ」とある。社蔵縁起はこの神を少彦名命とし,童子の姿で当所にあった大杉の上に降り,住民に粟の栽培を勧めたとする(桂村郷土誌)。「三代実録」仁和2年12月9日条に「授常陸国従五位下阿波神従五位上」と見える阿波神も当社と考えられ,「延喜式」神名帳那賀郡には「阿波山上神社」と見える。現在の那珂川は,当社付近では阿波川(粟河)とよばれていた(風土記)。当社はその創祀伝承にあるように,阿波川沿いに開けたこの地方の農業神と思われる。縁起によれば,天正年間までは大山城主佐竹氏が代々鎮守として崇敬,祭神の嫌う松の植樹はもちろん,門松をたてることもあえてしなかったと伝えられる。「桂村郷土誌」によれば,明治末頃まで天文22年7月7日の銘を有する鰐口があったといい,また現在「天文十年竜集辛丑霜月上旬 大山城主佐竹源次郎義任 社主徳宿上総介道房」と記した棟札など,計2枚の棟札が所蔵されている。神主は近世までは徳宿氏であった。徳宿氏は大山城主佐竹氏の客臣といわれる(県神社誌)。江戸期の除地は15石。弘化2年に遷宮が行われ,同4年には盛大な祭典が催された(徳宿太重郎日記/県神社誌)。天狗党の乱の際には境内が戦場となった。明治6年に郷社に列格。境内には現在も神降臨の大杉が残る。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7035298