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磯部稲村神社
【いそべいなむらじんじゃ】


西茨城郡岩瀬町磯部にある神社。旧郷社。祭神は天照皇大神・木華咲耶姫(このはなさくやひめ)命・天手力雄(あまのたぢからお)命・𣑥幡千々姫(たくはたちぢひめ)命・瀬織津姫(せおりつひめ)命・日本武尊ほか。磯部大明神とも稲村神社とも称する。社伝によれば,東国平定後,日本武尊が伊勢の皇大神と鹿島の大神をこの地に祀ったのが始まりという。その後成務天皇の時,稲置(城)によって宮が整えられたという。同じく社伝に,大宝2年勅命によって再建,永享元年に関東管領足利持氏が25貫文を寄進,大永2年に伊勢郡司の子孫島永家氏が社殿を再興したという。社蔵棟札によれば,天文8年2月佐竹氏が造営し,その時の神主は磯辺隼人佐であった。以後,元亀元年・慶長14年・慶安2年・延宝5年の造営棟札が残る。元禄7年に徳川光圀社参,同9年に内藤友侯より15石余が寄進された(県神社誌)。なお,世阿弥の謡曲「桜川」は当社を舞台とし,今もその面影を残す桜並木(国天然記念物)がある。「新編常陸」は,「磯辺明神」として「常南遊記伝……世俗ニ所謂磯辺ノ百色桜是ナリ」と紹介している。また同書に,神社の傍らに「薬師ヲ安置セル六角堂アリ」と見え,神宮寺の本尊で「謡曲ニ,磯部寺ト云ヘルハ,蓋コノ寺ナリ」としている。薬師如来像は室町期の作といわれる。木彫の狛犬も室町期の作といわれ,県文化財。明治6年に神宮寺を分離し,同年村社,同14年に郷社となる。明治42年社殿焼失,大正2年に再建。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7035488