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大洗磯前神社
【おおあらいいそざきじんじゃ】


東茨城郡大洗町磯浜町にある神社。延喜式内名神大社。旧国幣中社。祭神は大己貴(おおなむち)命・少彦名(すくなひこな)命。「文徳実録」斉衡3年12月戊戌条に「常陸国上言,鹿嶋郡大洗磯前有神新降」とあり,この浜に「両恠石」が示現し,それは「高各尺許,体於神造,非人間石」というものであったという。また,翌日「亦有廿余小石,在向石左右,似若侍坐」とある。そして神が人について言うには「我是大奈母知少比古奈命也」として,昔この国を造ってのち東海にいったが,今民の為に帰ってきたと告げたという。「文徳実録」天安元年8月辛未条に「大洗磯前,酒列磯前神等預官社」とあり,この時に官社となる。同年10月己卯条では,両社ともに「号薬師菩薩名神」とあって菩薩号を賜っている。両社の関係は未詳だが,祭神は当社が大己貴命を主神とし少彦名命を配祀としているのに対し,酒列磯前は逆であるといわれるため,おそらく両神が鹿島郡と那珂郡とに祀られたものであろう。当社は「延喜式」神名帳鹿島郡に「大洗磯前薬師菩薩明神社〈名神大〉」と見える。「新編常陸」には古老の伝えとして,「古ハ当社今ノ神祠ノ山上ニ建テ,基趾ウルハシク,末社四十余社アリ,社領モ千石ニ下ラズ」であったが,永禄年間の小田氏治の乱で兵火にかかり,社殿などは灰燼に帰し,社領も100分の1に減少したとある。その後浜近くに当社を再造したという。元禄3年7月徳川光圀が現在の社地の中程の地に社殿を再建するが,享保15年8月には永禄以前の旧社地である現在地に帰座した(新編常陸)。正徳3年に編まれた「大洗磯前明神本縁」によれば,当社は海上交通の神・眼の神として霊験著しく,氏子中には海難に遭う者も眼が不自由な者もいないとしている(新編常陸)。明治7年に県社,同18年には国幣中社に列した。一間社流造りの本殿と拝殿は県文化財。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7035771