大蔵
【おおくら】

旧国名:常陸
東は鹿島灘,西は北浦北部に挾まれた地帯の台地上に位置する。福泉寺は大掾高幹の二子忠幹が国家鎮護のため創建したもので(新編常陸),同寺の康暦2年の鐘銘に「常陸国大蔵山福泉寺鐘,天徹高冲,当寺大檀那掃部助平朝臣幹儀」と見える。永享7年8月9日の常陸国冨有仁注文写に「一,中居 多福寺 中居民部丞知行,一,同所 福泉寺」とも見え,福泉寺および末寺の多福寺は中居氏の勢力下に置かれていた(続常陸遺文)。以来,戦国末期まで中居氏の支配が続いたが,天正19年領主は佐竹氏に替わった。文禄4年7月16日の中務大輔当知行目録写に「一,六百弐十壱石九斗壱升 太倉」と見える(佐竹義秀文書/家蔵文書)。
【大蔵村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【大蔵(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7035824 |





