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偕楽園
【かいらくえん】


水戸市常磐町・常磐町1丁目にある公園。金沢の兼六園・岡山の後楽園とともに日本三名園の1つ。面積11万478m(^2)。付近の桜山・丸山を合わせて常磐公園とよばれ,常磐公園として大正11年に国史跡・名勝の指定を受けている。水戸県立自然公園の中心。偕楽園は徳川斉昭が天保13年に造成開園したもので,斉昭が天保10年に記した「偕楽園記」には造園の詳しい趣旨が書かれており,名称についても「是余与衆同楽之意也,因命之,曰偕楽園」と見える。園内には斉昭自撰自書の「偕楽園記」の碑がたつ。斉昭は天保4年に偕楽園の母体となった梅林計画をたて,翌年神崎村の七面山と称する土地を切り開き,植物係長尾左大夫景徳に命じ飢饉と軍備の用に役立てるため梅樹を栽培させた。その後この梅林をもとに偕楽園を造成する計画が進められた。当時は現在の常磐神社付近までを含む約14万7,000m(^2)で,梅樹の株数は斉昭時代に7,000~1万株ともいわれ,200余種の珍種・銘木があったと伝える。今日ではかなり減ったが,関東随一の梅の名所として,3,000株・60~70種の梅樹が花を咲かせ,2月末~3月中旬の梅祭り期間は観梅客でにぎわう。偕楽園は藩校弘道館の付属施設的性格をもち,文武修業の場弘道館に対し,修業の余暇の休養の場として考えられ,文教政策の一環をなすものともいえる。園内の好文亭は水戸城西方台地の展望のよいところに位置し,出城・物見櫓の役割も果たした。南東眼下に千波湖が広がる。昭和20年8月の戦災で焼失,同33年に復元。表門を入りすぐ西側一帯には矢篠が栽培され,矢の原料として利用されたが今はない。さらに東側一帯には弓をつくるため斉昭が京都から取り寄せ植えた孟宗の竹林がある。その先に好文亭での茶の湯に利用される吐玉泉がある。この泉は開園前からあったもので,造園の際,真弓山の大理石を用い井筒とした。南側斜面は暖かいため,早咲きの梅花が1月からみられる。ここには正岡子規の「崖急に梅ことごとく斜なり」の句碑がある。このほか公園内には斉昭が陸奥仙台藩から取り寄せたといわれる紅白のハギがあり,秋のハギ祭りもにぎわう。ほかに奥御殿・水戸八景の1つ「僊湖暮雪」の石碑がある。偕楽園に隣接して常磐神社・東湖神社・義烈館・回天館などの神社や博物館もある。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7036210