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桐ケ瀬
【きりがせ】


旧国名:常陸

鬼怒川中流左岸の小湾曲部に位置する。神護景雲2年,洪水のたびに水害を被る下総国側の要請によって,毛野川の湾曲部を切り離して流路を直線にする工事が行われ,新川を掘ったので,常陸国新治(にいはり)郡川曲郷の地は,川東と川西とに分断された。地名の語源は,新川を掘(切)り通したために,旧川と新川との付け根に流れの早い所(瀬)ができたので,切通しにできた瀬を切ケ瀬とよび,のち佳字を用いて桐ケ瀬となったという。「多賀谷氏并御家中過去帳抜書」に,「道運禅定門〈下妻霧瀬殿御内方為父,天正十六年三月十三日〉」とある(常総遺文/下妻市史料)。霧瀬殿は,「多賀谷譜代之覚」(秋田県立図書館蔵)に見える「桐ケ瀬」,「多賀谷家氏族并諸氏卒」で「一郷一館之主」の筆頭にある「桐ケ瀬弾正」,「結城家臣諸士土着連名」に見える「切ケ瀬六郎」などと同家。「結城系図」によれば,6代朝祐の子で7代直朝の弟の「某〈号桐瀬三郎,駿河守〉,得自兄直朝之配分,領桐瀬」を初代とし,南北朝期に南朝方諸城攻略の拠点として築城分地したもので,直朝はここから関城へ攻め寄せて負傷し,帰城の夜陣没したという。
桐ケ瀬村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
桐ケ瀬(近代)】 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7036814