100辞書・辞典一括検索

JLogos

10

酒列磯前神社
【さかつらいそざきじんじゃ】


ひたちなか市磯崎町にある神社。延喜式内名神大社。旧国幣中社。祭神は少彦名(すくなひこな)命。大己貴(おおなむち)命。「文徳実録」斉衡3年12月戊戌条に「常陸国上言,鹿嶋郡大洗磯前有神新降」とあり,当社祭神の降臨の奇瑞が報告されている。海辺に2つの恠石が示現し,翌日には20余りの小石がそれを取り巻くようにして現れたというもので,さらに神が託宣して「我是大奈母知少比古奈命也」と言い,昔この国を造ってのち東海にいったが,民を済度せんがために再びやってきた,と述べたという。「文徳実録」天安元年8月辛未条に「在常陸国大洗磯前,酒列磯前神等預官社」と見え,当社と大洗磯前神とが同時に官社に列している。同書同年10月条では両社とも薬師菩薩名神の号を与えられている。両社は,当社が少彦名命を主神とし,大洗磯前神社が大己貴命を主神としているところから,古来,那珂川河口の南北,海に面した海上交通の要所に祀られていた同系統の神であったと思われる。「延喜式」神名帳にも,当社は那賀郡に「酒烈磯前薬師菩薩神社〈名神大〉」と見え,大洗磯前社も鹿島郡に名神大社として見える。「新編常陸」によれば,建久元年源頼朝が当社の神威に感じて那珂東郡・久慈西郡を社領として寄進したといい,「平磯志」はその地を「百廿町」としている。元弘2年佐竹貞義は神田を寄進し社殿を修理したとも伝える(新編常陸)。その後天正8年に江戸重通が社殿を修復するが,文禄年間豊臣秀吉が社領を没収した(平磯志)。弘治年間・寛永18年の社殿修造の棟札がある(県神社誌)。元禄15年に水戸藩主の命により社地をわずかに移したという(平磯志・県神社誌)。近世の社領は10石余(平磯志)。明治18年に国幣中社に列格。医薬・安産の神として乳母神様ともよばれる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7037237