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佐波波地祇神社
【さわわちぎじんじゃ】


北茨城市大津町にある神社。延喜式内社。旧郷社。祭神は天日方奇日方(あめのひかたくしひかた)命・大己貴(おおなむち)命・事代主(ことしろぬし)命ほか。俗に唐帰山の名で知られ,六所明神・大宮大明神ともよばれる。また,「さわはちぎ」ともよんだ。社伝によれば,日本武尊が東征の時に大津浦で漂流しかけたが,ある夜白衣の神人が現れてこれを救ったので,のちに使を派遣して奉幣したという。その後斉衡・天安年間に創立されたと伝える(県神社誌)。大津浦の海上交通の指標として古代以来大きな役割を果たしたと思われ,貞観元年4月26日に正六位上の佐波波神に従五位下が授けられている(三代実録)。「延喜式」神名帳多珂郡には佐波波地祇社とある。「新編常陸」には,社記にいわくとして,延暦20年に坂上田村麻呂が当社に奉幣,永承5年には源頼義が陸奥平定の戦勝祈願のために歌一首を奉納したとある。当社は古くは佐波山山上にあってその地は贄田神楯と称されたが,天文13年に好間義秀が車城を築くにあたって当社を城の鎮守神と崇め,永禄年間に塩原山に移したという(新編常陸)。その後さらに現在地に移され,現社殿は享保12年4月18日の造営といわれる(県神社誌)。元禄年間徳川光圀は神名を大宮大明神と改めて神鏡を奉納したという(同前)。明治13年に郷社に列格。当社例祭は毎年5月9日から3日間行われるお船祭りで,船御輿が町内を巡行し港で潮垢離をする。一般に大津のお船祭,大津のお浜下りとよばれ,県無形民俗文化財。市内には同名の神社が上小津田の塩原にあるが,これはもと同一社であったと思われる。「神祇志料」や「県神社誌」は上小津田の佐波波地祇神社を式内社と判定している。「水府志料」は大津の佐波波地祇明神を式内社とする。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7037355