下谷貝
【しもやがい】
旧国名:常陸
観音川左岸の台地に位置する。縄文中期の太夫台遺跡・高内遺跡・長者池遺跡,鹿島宮古墳(円墳)がある。文禄5年蔵納帳(秋田県立秋田図書館蔵)に「〈高千四石三斗壱升 此内卅五石五斗八升荒〉定納百四十五貫三百八十三文〈此内六十八貫四百文かゝり〉〈真壁預り〉下屋かい」と見え,佐竹氏直轄地として真壁氏に預け置かれている。
【下谷貝村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【下谷貝(近代)】 明治22年~現在の大字名。
 | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7037669 |