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立木
【たつぎ】


旧国名:下総

利根川中流左岸,東西に連なる文間(もんま)台丘東端南側に位置する。下台(山の台ともいう)に縄文後・晩期の立木貝塚(町史跡)がある。明治20年代から発掘調査が行われ,初期の日本考古学の実験台的な存在になった。同貝塚の上に蛟神社の門の宮がある。蛟神社は文間明神ともよばれ,「延喜式」には「相馬郡一座」としてその名が記されている。ここから東へ500mほど離れた水田中には神池笠貫沼がある。久安2年8月10日の平常胤寄進状に見える「逆川口笠貫江」の遺称地である(櫟木文書/県史料古代)。また地内から貞和銘・永仁銘など10数基の板碑が出土している。上台の浄土宗円明寺は応永年間良栄上人の開山といい,相馬常胤夫人の持仏と伝えられる地蔵菩薩像がある。地名は,日本武尊が,東征の途次蛟神社に武運長久を祈願し,境内の神木に乗馬の手綱をつなぎ,この手綱つなぎの神木が,手綱木となり後世「たつぎ」に変化したという(吉浜家文書)。慶長9年の神領水帳には「下総国相馬郡文間庄立木郷」と見える(千葉県船橋図書館所蔵)。慶長18年7月18日の鳥居成次が佐藤七衛門に与えた知行充行状に,「下総国門間之内,押戸村,奥山村,真木村,大坊村,横須賀村,河原代之郷,合六ケ村,従前々抱来候間,申付候者也,如件」と見える(田辺文書/甲州古文書)。同文書に見える6か村のうち,他の5か村は,隣接したまとまりのある地域で,現在の利根町と竜ケ崎市に含まれる小貝川に面した微高地に存在する。真木村は門間郷の一部を形成していたと思われる当地に比定される。当地は文間郷の中心であった可能性もある。
立木村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
立木(近代)】 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7038189