100辞書・辞典一括検索

JLogos

13

近津神社
【ちかつじんじゃ】


久慈郡大子(だいご)町下野宮にある神社。旧郷社。祭神は級長津彦(しなつひこ)命・面足(おもたる)尊・惶根(かしこね)尊。大子町内には近津神社が3社あり,上・中・下の宮をあわせて近津三社とよび,当社はそのうちの下宮にあたる。八溝山頂の八溝神社が本来の本宮にあたり,八溝山は中世までには山麓一帯にその信仰を広げた修験道の一大霊場であった。八溝山の東北方,福島県棚倉町の都々古和気神社は,延喜式内名神大社で,中世には奥州一宮を称していた。棚倉町には八槻都々古和気神社と馬場都々古和気神社の2社があり,中世以降はともに八溝修験の2大勢力であった。当社はこうした八溝修験・八溝山信仰の南側の中心と考えられる。成立は未詳であるが,社伝によれば祭神は日本武尊東征の際に出現,慶雲4年に社殿が造営され,延暦20年には坂上田村麻呂が参籠し,康平年間には源義家が戦勝祈願をしたという。室町期には佐竹氏の領内に属した。佐竹義治は当社に650貫文を寄進したと伝え,永禄10年10月17日の和田昭為書状によれば,佐竹氏の指導のもとに「近津御造営」が「保内役銭」をもって遂行されている(近津義任氏所蔵文書/大子町史料)。天正4年にも,佐竹義重は近津造営を前々のごとく禰宜・社人などに命じている(同前)。戦国期に当社下宮を本社として上宮・中宮が分霊され,ここに近津三社が成立。常陸北部における八溝山信仰の中心となった。天保4年に社殿再建。明治9年に郷社に列格。境内の神木鉾スギは樹齢約900年といわれ,県天然記念物。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7038279