鉄砲町①
【てっぽうちょう】

旧国名:常陸
(近世~近代)江戸期~昭和42年の町名。江戸期は鉄炮町とも書き,新(あら)町とも称した(新編常陸)。水戸城下上町の1町。明治22年からは水戸市上市のうちで,昭和8年からは水戸市の町名。水戸城の北西に位置する町人町。町名は御鉄砲師桑屋善兵衛や金具師・台師など鉄砲細工の者が当地に居住したことによる(水府地理温故録)。「新編常陸」によれば,上金町から泉町に通ずる片側町で,紀州堀を裏にした長さ2町46間で,はじめ武家町であったが,貞享年間~元禄年間頃鉄砲鍛冶を神崎に移して町人町とした。「水府地理温故録」によれば,当町に先年柳蒟蒻という名物を製するといい,札場の北にあたる当町付近は芝付で広々としていて肴売が浜辺から同地へ自然に集まって魚店ができたという。当町の上金町近くに万屋十三郎という人物が住んでいたが,その宅地はもと天王社の土地であったので毎年6月の天王社出社の時はその前に神輿をとめて神酒を賜う例という(新編常陸)。宝暦4年泉町からの大火で当町も延焼したが,そののち,鉄砲町芝付に天水桶が置かれることになった(水戸の町名)。文化5年に成立した水戸の宿屋株20軒のうち,当町には松屋平兵衛,小野瀬屋忠三郎があった(同前)。天保年間の「水戸上下御町丁数調書」によると,当町は間数103間余,家数19軒。町役人は鉄砲町と上金町とで名主1人,組頭は鉄砲町で1人の定めであった(水戸市史)。春秋の馬市では上金町高札場から鉄砲町一帯に見世物小屋が掛けられて,声色・浄瑠璃その他が演じられた(水戸の町名)。当町角の筑波屋の目薬北斗香も有名で,「加藤寛斎随筆」では,江戸はおろか,奥州・上方にも取次店があったという。明治12年水戸警察署,同22年市役所が当町に置かれた。俳諧で有名な石山金兵衛(号藍翠)は当地に住した。昭和25年の世帯147・人口619(水戸の町名)。東側の一部が昭和41年五軒町1丁目・金町1丁目・泉町1丁目,西側の残部が同42年泉町1丁目・五軒町1丁目となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7038399 |





