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仁江戸
【にえど】


旧国名:下総

鬼怒(きぬ)川右岸の台地に位置する。旧集落は粟野南部に10戸ほどあったといわれる。北部から西部にかけて縄文土器片が分布し,西部の村岡境では鉄滓も出土。仁江戸から別府にかけて存在した古墳群は,現在も愛宕山古墳(前方後円墳)を含む12基が確認されている。松合坪は,「将門記」に見える堀津(堀越)渡に比定される。将門にまつわる伝説も多く,将門を祀る五所神社の丸彫の首を子供たちが川に浮かべて遊んでも,もとに戻っているという。天慶3年将門は藤原秀郷の強弓で額を射抜かれて死ぬが,秀郷を手引いたのは仁江戸出身の将門の愛妾桔梗の前という。それ以来当地では将門の霊をはばかり,庭にはききょうは植えず,ききょう模様の家具や衣服も用いなくなったという伝説などがある。室町末期金子家忠の末孫堀戸道光は殿山(でんやま)に堀戸城を築いたが,庚申待ちの夜酒宴に乗ぜられ多賀谷氏家に攻め取られたという。以来下妻多賀谷氏は鬼怒川西岸にも勢力を拡大し,慶長6年没落するまで支配が続いた。なお,江戸期には新殿庄・新土庄・仁江戸庄などと検地帳表題や裏書き,鐘銘などに見え,当地一帯の地域呼称であったと考えられる。また古くは堀戸と称したといい,法戸の字名が残る。
仁江戸村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
仁江戸(近代)】 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7038851