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八幡宮①
【はちまんぐう】


高萩市安良川にある神社。旧県社。祭神は誉田別(ほむだわけ)命・日女大神(ひめおおがみ)・神功皇后。安良川八幡宮ともよばれる。文明11年9月日の安良川八幡宮神主・衆徒等申状写によれば(安良川八幡神社文書/県史料中世Ⅱ),花山天皇の時山城鞍馬寺の僧修多羅大徳権輿と藤原左京大夫とが,寛和元年3月10日に石清水八幡宮から勧請したのに始まり,源頼義が康平3年に奥州遠征の折立ち寄って戦勝祈願をし,その後この地の領主宇佐美時景に命じて神官・社僧を整備せしめたという。社伝によれば,はじめの鎮座地は現在の神輿渡御が行われる浜の宮の地で,宇佐美時景の時に現在の地に遷座したという(高萩市史)。さきの申状によれば,その後嘉禄2年に宇佐美祐泰・木佐良善阿による造営以下,建治元年の佐竹美国,永仁2年の諏訪盛宗,延文4年の小野崎通胤らによる造営があったという。神官・社僧などはそれ以来120年間も修造がなく,社殿は荒れ放題であるから,ぜひ修造を行って欲しいと佐竹氏に訴えている。この時の差出署名に「多珂郡三十三郷之惣社 安良川八幡宮神主鈴木王太夫 別当権少僧都宥慶」とある。この申状ののち文明12年佐竹義治による造営があり(社蔵棟札),その後も永正13年・永禄9年・天正11年の造営棟札が残る(県神社誌)。これらの造営には岩城氏・小野崎氏・大塚氏・車氏・山能氏などが加わり,信仰の篤さをうかがわせる。慶長7年8月21日の安良川八幡宮領注進状には「荒川山八幡宮御神領」をして「本高八百五拾七石」と見える(安良川八幡神社文書/県史料中世Ⅱ)。内訳は262石余が社僧六供分,10石余が神官王太夫分,ほかに「五百六拾六石七斗三升 七拾五人」とあるのは神人分と思われる。しかし,この800石余の社領は慶長7年以前の社領本高であり,これ以降は朱印社領45石余であったという(県神社誌)。別当竹恩院は文安3年以来の寺であったが,元禄8年には竹恩院・神宮寺・岩本坊・松本坊・桜本坊・大門坊の社僧が水戸藩の神仏分離政策によって廃された。元禄10年・嘉永7年に社殿を造営(同前)。明治14年に郷社,昭和13年に県社に列格。境内の神木は爺杉とよばれ国天然記念物。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7039116