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東金砂神社
【ひがしかなさじんじゃ】


久慈郡水府(すいふ)村天下野(けがの)にある神社。旧郷社。祭神は大己貴(おおなむち)命・少彦名(すくなひこな)命。もとは山王権現と称した。金砂郷(かなさごう)町の西金砂神社と社伝による由緒沿革が相似し,創立も深い関係があると思われる。創祀は,社伝によれば大同元年,平城天皇の勅願によって天台宗僧宝珠上人が近江の日吉山王権現を勧請したのに始まるという。その時,東方の海上から神童が現れ,仏法の鎮護を誓約してたちまち姿を黄金の膚に砂をちりばめた鮑に変じたので,上人はこれを祀り山王としたという。寺は東清寺と名付けられた(水府村史)。大同2年には坂上田村麻呂が東征戦勝を祈願して多宝塔1基を建立,嘉承2年には慈覚大師が比叡山に模して山王二十一社を勧請したという。また源頼義・義家も戦勝祈願して太刀を奉納するとともに,頼義は自ら治暦3年の大祭礼には祭主となったと伝える。中世,佐竹氏は当社を祈願所として,社領2,000石を寄進。応永21年に社殿焼失,同31年に再建。のち,豊臣秀吉の時に社領は大半を収公され徳川氏の時に朱印地24石となった。水戸藩の神仏分離政策によって山上の21坊は廃されたという(水府村史)。明治36年に社殿が全焼し,同44年に再建。昭和2年に郷社となった。社名は明治初期頃,山王権現から現社名に改めた。境内のモチノキは県天然記念物。また当社の7年に1度の嵐除祭には東金砂神社田楽舞(県無形民俗文化財)が行われる。この田楽では四方固め,獅子舞,巫子舞,三鬼舞の4曲が演ぜられる。当社の大祭礼は73年ごとに1度のもので,最近では第16回目として昭和6年に催された。大祭礼・小祭礼とも西金砂神社とともに行われる。神が現出したと伝える水木浜(日立市)に御輿の渡御があり,その行列は盛大を極める。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7039266