赤羽
【あかばね】

旧国名:下野
小貝川と五行川の間に位置する。建保元年4月三浦一族の埴生和泉が鎌倉の戦闘に敗れて東野広原と称されていた当地に来て赤埴邑を開創し,承久2年9月26日紀氏が赤埴邑を領することとなり,地名を赤羽と改めたという(入野家文書)。元亀3年赤埴信濃守高綱,文禄元年赤埴周防守朝守などの名が見える(宇都宮興廃記)。中世の赤羽城跡があり,文亀元年9月紀氏の三男赤羽右京之進が築城したという(入野家文書)。慶長7年12月28日芦野弥左衛門は,徳川家康から赤羽村で250石3升4合を充行われている(角田与五右衛門文書/譜牒余録下)。文禄元年西方太郎左衛門綱義(綱吉)が都賀郡西方郷から当地に入って領有し,赤羽兵太夫は追われて常陸真壁郡に退いた。慶長2年西方太郎左衛門は宇都宮家一門の没落により西方郷に潜在したという。
【赤羽村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【赤羽(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7040447 |





